■僕が今の会社を創業した経緯
僕自身は最初とても幼い人間で社会人になってすぐおーきな会社の一部として働いた。時にその会社についていけないことであったりこれから先の人生を考えて人生で本当に本当に初めて絶望した.
そのおーきな会社に行ったら世界を変えられると思っていた
でも現実は違くて
大きな会社の一部の人間としても活躍することもできず
その会社で成長して行くビジョンも未来も描けず
このままあと40年過ごして行くとなったらあと家族に何回会えるんだろうという絶望に打ちひしがれ
心の奥底から絶望して、涙を流さない日は無かった毎日
そんな中で心の糸がぷつんと切れて
その会社を辞めることにした
鉄を通じて世の中を良くしたいと思っていた
世界中のいろいろなところにある鉄をつくることで鉄を良くすることで世の中をもっとできると思っていた
でも世の中を変えたいと思ってもそんなおーきなことは成し遂げられないのかと絶望した
でも世の中を変えると決意して
世の中を良くすると決意して
世界を変える何でも屋
の名前を名乗った
そこの名前までは決意と共に決定をしたのだ
そして続けるとどうやってそんな何でも屋になりたいのかを考えた
僕は会社を辞める22歳当時、ただただ絶望している幼い社会人だった
楽しみに飢えていた
当時新しく発売したドラゴンクエストナインも心の底から楽しむことができていなかった
僕の手元にあったのは3DSだった
地獄の底で僕を支えてくれていたものはゲームだった
僕の人生のオークのスタートはゲームの攻略からスタートしている
四歳でドラゴンクエストを始めてから
ポケモン、スマッシュブラザーズ、ファイナルファンタジー、
これにとどまらない数多くのゲームを追求探求してきた
宿題を頑張るのは早くゲームをしたいから
僕の頑張る原動力はすべて楽しいことに向けてだった
僕はその絶望の中で自分の名前と任天堂を重ね合わせた
天天堂
これを名乗ることを決意した
任天堂に怒られないかな?
なんて少しでも考えたものではあるが
僕は任天堂を愛する一つのファンであって、あの会社の名前を汚すことは絶対にしない
あの最強の企業である任天堂さんもファンには少し寛容であるだろう
そんな気持ちを持って名乗ることに決めました
僕は世界を変えたいと思った
そしてどうせ変えるなら、変える途中の道も楽しいものにしたいと思った
その気持ちが詰め込まれた名前が天天堂
そしてこれが創業の経緯